院長 鈴木淳司をご紹介します。

経歴ー出身大学、勤務履歴、開業年など

院長鈴木ユニフォーム
昭和39年 愛知県生まれ
平成2年 広島大学歯学部卒業
歯科医師免許取得
平成6年 広島大学大学院歯学研究科修了
博士(歯学)
広島大学歯学部小児歯科学講座助手
平成9年 ミシガン州立大学医学部
小児科学講座研究員(~平成11年)
平成16年 広島大学大学院小児歯科学研究室准教授

メッセージ

001予防は、治療と同じくらい、いや実はそれ以上に大切です。

多くの歯科疾患は治療できますが、それでも歯を削ったり、抜いたりしなくてはならない場合もあります。

削った歯や抜いてしまった永久歯は再生することはありません。
ですから、当院では治療をすると同時に、これ以上新たな疾患ができないように、予防の指導も十分にさせていただきます。

歯の磨き方を変えたり、少々今までより面倒になることもあるかと思いますが、お口の健康をお守りするには、皆さまのご協力も不可欠です。

むし歯や歯周病を防ぐ方法や情報は、当院が一生懸命お伝えいたしますので、一緒に力をあわせて頑張りましょう!!

治療の際、心がけていること

002 「歯科の治療に痛みはつきものだから、歯医者は苦手だ」、という患者さまが多くいらっしゃいます。

ある意味、痛みはやむを得ないとも言えますが、私たちは、できる限り痛みを最小限にすることはできます。

治療の前に、患者さまが何に不安をお感じになっているのか、よくお伺いをし、安心して治療をお受けいただけますように心がけています。

自己紹介

すずき歯科小児歯科のホームページをご覧頂きありがとうございます。
院長の鈴木淳司です。

私のことをもっとよく知って頂くために、自己紹介させて頂きます。

少年時代

生まれも育ちも愛知県豊橋市です。
静岡県との県境赤石山脈の麓が故郷です。
小学校時代、外遊びのときには自家製ナイフが
ポケットに入っているような子どもでした。
幼少時代
錆付いたの鉄鋸の刃を拾ってきてはグラインダーで刃を付け、
鞘も手作りしてました。

銃刀法では刃渡り5.5 cm以上の剣は違法ですから、
完全に法律違反です。さすがに時効でしょうけど。

また小学校高学年ではいわゆるスーパーカーブームに乗っかり、
どこまでも車の写真を撮りに行ってました。
少年時代

中学時代

中学校ではインベーダーゲームにはまり、部活(卓球部)をサボって、
ゲーセン三昧。今思えば、私を含め同級生のほとんどは不良でした。

ちょうど3年B組金八先生の最初のシリーズ(たのきんトリオや杉田かおるが出演)が私たちの中3ですので、荒れた学校の時代を反映していたのでしょうか。

高校時代

ほとんど受験勉強をしなかったものの、親の心配をよそに、
愛知県立豊橋南高等学校にラッキー合格しました。

豊橋南は当時、愛知県立普通科高校のうち「豊橋一群」という
進学校グループに属していました。

私の3年次のクラスメート43名は、国公立大28名、
(うち東大3、京大2。名大4)、早慶3名という実績でした。

ところがこの高校、実に卒業生の75%が浪人するという
河合塾のお得意さん養成校でした。

ご他聞に漏れず、私もスクーターで通学するという
おおらかな学生時代を過ごした後、無事河合塾進学を果たしました。

予備校時代

高校卒業後どうしても家を出たかった私は、
「河合塾の本校の寮に入り、心を入れ替えて勉強する!」
と宣言したものの、なんと入寮試験に不合格。

面接で
「はい、マージャンは大好きです」
と言ったのがいけなかったのか?!

同様にして不合格となった悪友とアパートで同居を始めましたが、
すぐに浪人生の巣窟になってしましました。

予想通り、日夜マージャンに励げんだ結果、
第一希望の某工業大学は遙かな遠くに行ってしまいました。

持ち前の優柔不断さで大胆な進路変更を行い、
なんとか広島大学歯学部に合格することが出来ました。

恥ずかしながら、強い思い入れなく入学することになった歯学部ですが、
母親が看護師だったこと、そして子どもの頃から大の歯医者嫌いで
あったことと無縁ではないような気がします。

自分が歯医者になればよその歯医者に通う必要はなくなるだろう
という浅はかな考えでした。

広島大学歯学部時代

広島大学では6年間スキーと卓球とマージャンと
酒盛りばかりしていました。

2年生のクリスマスには友人らとバカ飲みし、
同級生一人を留置所に泊まらせたともあります。

まだ比較的意識のはっきりしていた友人二人で意識不明者を抱えて
ふらついているところを駐在さんに咎められ、
「この子はうちで預かるから」
とのありがたいお言葉で友人は白黒の車にドナドナされていったのでした。
卓球大会
そんなこんなで多くの友人が落第して脱落していく中、
不思議と留年もせず6年間で卒業することになったのでした。

そして最終学年の冬、卒後の進路が決まらず、ふらふらしていた私に
小児歯科の長坂教授から教授室への呼び出しがありました。
広島大学時代
曰く、
「小児歯科をやってみないか?小児歯科は子どもの治療は何でもやるから、どんな歯科治療にも対応できるようになる」
と。

そんなうまい話があるわけないと思いながらも、
教授秘書の笑顔と出されたケーキに騙されてしまい入局するはめに。

広島大学大学院時代

広島大学院時代 怖いもの知らずで細菌学をテーマに選び、それはそれは恐ろしい口腔細菌学講座で4年間を過ごすことになりました。

朝8時から研究を始め、日中は小児歯科外来で診療し、夜は深夜まで研究。

しかも1年間で350日くらいは大学に詰めるという罰ゲームのような暮らしでした。

いったい法定労働時間の何倍働いたでしょうか?
しかしこの頃から私の歯科医師としてのテーマが固まっていきました。

それは
「私が担当している子どもたちが、人生を全うし、棺桶に入る時には口の中には入れ歯が入っていないようにする。そのために、自分が出来ることはすべてやる。」
というものです。

私が小児歯科医として子どもたちの人生に関われる時間は
とても短いものですが、その間に彼らに正しい食生活習慣を与え、
歯みがき方法を指導し、好ましい歯並びを作っておくことが
出来るのではないかと考えました。

この考えは、現在においても
「すべてにおいて予防歯科が優先する」
となり私の中に生き続けています。

ミシガン州立大学研究員時代

ミシガン州立大学研究員の仲間達1997年から99年に掛けて、ミシガン州イーストランシングにあるミシガン州立大学医学部小児科学講座に留学しました。

大学院生のノリで渡米してしまったため、研究室の白人達がが引くくらい実験していました。

ボスにはゴルフをしない日本人研究員は初めてだと言われ、
夜中まで同僚の中国人、台湾人、韓国人と競い合っていました。

ミシガンで最初に与えられたテーマは
「肝細胞のガン化」
に関するものです。

歯科医師である私の本業とはかけ離れたテーマですが、8ヶ月間で論文を書き上げて、ようやく自分のやりたかった仕事にお許しが出ました。

ミシガン州立大学の外観 私のやりたかったこと、それは「骨の再生」でした。日本で患者さんが入れ歯になってしまう原因の過半は、実は虫歯ではなく歯槽膿漏です。

当時、骨の再生を用いて歯槽膿漏の治療を行おうというアイデアが世界的なトレンドになり始めていました。

この時始めた研究は、その後一貫して持ち続けることになる研究テーマ
侵襲性歯周炎の発症メカニズムの解明
につながることになります。

広島大学教官時代

広島大学教官時代学生教育と研究活動、そして臨床にとかけずり廻っていました。特に39歳で小児歯科の助教授となってからは早朝から深夜まで精一杯働きました。

教育活動では歯学部生への講義のほか、大学院生の指導教官として多くの歯学博士を育てました。

研究面においては、原著・総説は75編、
学会発表は150回以上を数えています。

臨床面では小児歯科診療室の外来医長、初診担当医として、多くの
初診患者さんの診断にあたり、診療室の中心的な役割を果たしました。

小児歯科学会指導医時代 また、広島県では3名しかいない(当時)日本小児歯科学会指導医として小児歯科専門医を目指す若い歯科医師の指導的な立場にもありました。

現在、すずき歯科小児歯科に勤務している三浦先生は
この時代の研修医でした。

独立開業への想い

助教授として走り続けた6年間でした。
通常であればこのまま走り続け、教授まで一直線…っていうのが
まっとうな生き方です。
私の周囲にもそういう期待があったかもしれません。

でも、私の想いはだんだんと大学から離れていきます。
日本有数のアクティブな臨床家の先生方から刺激を受け、
その思いは日増しに強くなりました。

忘れもしない平成21年5月15日、私は日本小児歯科学会総会にて、
大会会長である大阪大学大嶋教授から依頼され基礎研究に関する
特別講演を行いました。

内容は私が一貫して研究テーマとしていた
「侵襲性歯周炎の発症における骨芽細胞の細胞間ネットワークの関与」
でした。

おそらくこのホームページを読んでくださっている方で、
この講演テーマを理解して下さる方は皆無でしょう。

そればかりか、大学の同僚ですら真に理解してくれた先生は
多くはいませんでした。

でも、とんがった事をしないと大学では生き残っていけないのです。
小児歯科学会総会での特別講演という晴れの席で講演しながら、
私は決心していました
「もっともっと患者さんに近いところで仕事がしたい…」。

ミスターチルドレン

1998年冬、ミシガン州の州都ランシングに駐在していた日本の方から
一本のミュージックテープを頂きました。

Mr.Childrenの「深海」というCDです。
日本にいた時にはMr.Childrenを全く聞いたことのなかった私でしたが、
日本語恋しさもあり研究室の行き帰り、広大なミシガンの平野の中の一本道を走る時にはいつもこのテープを聞いていました。

日本にいる時にも耳にしていたはずでしたが、
ほとんど記憶に残っていませんでした。

しかし当時一人暮らしだった私の心には、なぜか歌詞が染み入ってきて、
ニッポンを思い起こさせました。

ポンコツのシボレーブレイザーのカーステレオから流れる
「名もなき詩」のメロディーで幾度涙がこぼれたことか…。

ミシガンでは精一杯仕事をして、世界と戦っているつもりでいましたので、今でもMr.Childrenを聞くと当時の高ぶった気持ちが思い出されます。

すずき歯科小児歯科開院の朝も、
ミスチルを聴きながら自転車をこぎました。

忘れられない患者さん-最後のプレゼント"お茶イヌ"

広島大学病院小児歯科では小児病棟に入院している子どもたちの
お口の管理を定期的に行っていました。

ほとんどすべて小児ガンの子どもたちです。
抗ガン剤による化学療法や放射線療法、
骨髄移植の前後にはお口の状態が非常に悪くなります。

その頃私たちは3DS(Dental Drug Delivery System)と呼ばれる
口腔内除菌システムを応用した口腔ケアシステム作りを急いでいました。

そんな時、一人の人なつっこい女の子が入院してきました。
確か神経芽腫の再発のための入院だったと思います。

魔法使いサリーに出てくる、
よしこちゃんの様なだみ声が特徴的な子でした。

病棟回診を続けるうち、
その女の子と打ち解けふざけ会うようになりました。

お茶イヌ 神経芽腫の再発症例は大変予後が悪く、
彼女が寛解を得られるかどうか分かりません。

入院も長くなったある日、
彼女が私にプレゼントをくれました。

お茶のペットボトルにおまけで付いている"お茶イヌ"です。
彼女自身も戯れにくれたもので、深い意味はなかったと思います。

私は礼を言って、お茶イヌを自分のネームタグにくくり付けました。
ところがその直後彼女は急変し、逝ってしまいました。

最後にもらったこの"お茶イヌ"。
私はとうとう広島大学病院退職の日まで
それをネームタグから外すことは出来ませんでした。

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